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2018 03.10

中京重機60年の歴史・第一話:創成期・激動の時代編(昭和34年~)

投稿者: 作田 明應

カテゴリ: 重機中古建設機械中京重機オリジナル重機・建機

 こんにちは、作田です。

 中京重機は、昭和341959)年626日に創立しました。

平成302018)年は、創立から60年となる記念すべき年です。

そこで、今回から4回に渡って、中京重機が歩んできた歴史についてお伝えしたいと思います。

このブログを書くにあたって、会社概要、沿革には記されていない歴史を知るため、弊社会長・加藤秀孝に話を聞きました。

私が知らなかった秘話がたくさん出てきて、正直、ブログのことを忘れて話に聞き入ってしまいました。

はじめて中京重機を知った方も、長く中京重機とお付き合いいただいている方も、「中京重機ってこんな会社だったんだな」と楽しんでお読みいただけたらと思います。

さて、中京重機の歴史を語る第一回の今回は、中京重機の創成期についてお伝えします。

 

 

IMG_2995.jpg

【1】中京重機のロゴマークに込められた熱い想い。

IMG_2974.jpg 中京重機の歴史を振り返る前に、まずは弊社のロゴマークについて説明しておきましょう。

 さまざまな想いが込められたロゴマークは昭和60年頃に制作されました。

まず、形状は中京重機の頭文字である『C』を表すと同時に『輪』を表現しています。

そして、この『輪』に込められているのは、お客様や社会、時代と調和していくという願いです。

『輪』は、3本のラインで構成されており、『技術』『信頼』『人』を表しています。

この形を彩っているのが『情熱』の赤色です。

つまり、このロゴマークには、「中京重機がお客様や社会、時代と調和しながら、情熱と技術で人々から信頼される会社として成長していく」という姿勢が凝縮されているのです。

このロゴマークには、それまでに歩んできた弊社の道のりと、未来に向けた願いが込められています。

それでは、このロゴマークに込められた想いの礎となった創成期の歩みをご紹介します。

 

 

【2】自社開発した生コンクリート撹拌機が大ヒット!

 _T7A4649.jpg中京重機のはじまりは、現会長である加藤秀孝が知人の斎藤秀明氏に一緒に会社をやろうと誘われたことだったそうです。

当時、会長は30歳前半で会社勤めをしていました。

会社を興すことは大変な決意だったのだろう、と思って質問すると、

「よし、やろう!って怖いもの知らずではじめたんだよね。若いときはやる気満々だからね。みんなそうじゃない?」

と、笑顔で答えが返ってきました。

現在の中京重機が前向きに新しいことにチャレンジしているのは、会長のDNAなんだと納得してしまいました。

 

さて、中京重機が産声を上げた昭和34年とはどんな時代だったのか調べてみました。

昭和33年に東京タワーがオープン。

昭和34年には、フジテレビの開局や東京オリンピックの開催決定、はじめてカラーテレビで野球のナイター中継などがあったようです。

戦後、急激に復興を遂げた日本が未来に向けて活気に溢れていた時代だったのですね。

現在の中京重機が取り扱っているような重機・建機がまだ誕生していない時代。

生まれたての中京重機は、一輪車や猫車、スコップ、ポンプ、発電機といった建設現場で使う道具を販売する会社でした。

その後、生コンクリートを攪拌するホッパーにタイヤと動力を付けた機械を開発。昭和36年頃から全国で販売するようになったそうです。

IMG_2988.jpg今風に表現すると「自走式生コンクリートホッパー」でしょうか。

トラックミキサー(生コン車)がない時代です。コンクリートが必要な作業では、現場作業員がその場でスコップを使ってコンクリートを練って使っていました。

時間も労力もかかるため、工事規模が大きくなるほど大変な作業となります。

そんな中で登場した中京重機の「自走式生コンクリートホッパー」は、作業を大幅に楽にできると大人気となりました。

なんと、最盛期には月に100台以上を販売していたそうです。

これが、中京重機の名前が全国に知られる第一歩となりました。

 

 

【3】絶体絶命!不渡りであわや倒産の危機。

 自走式コンクリートホッパーが大ヒットしたことを受けて、さらに販売網を確固たるものにするため、東京と大阪に営業所を作ったそうです。

順風満帆の時代だったんだな、と思いながら会長の話を聞いていると、あわや倒産という危機に陥ったのもこの時代だったというのです。

 その危機に直面したのは昭和39年。

当時の代金回収の方法は、ほとんどが手形でした。そのため、ときには不渡りを出すこともあったのです。

不渡りがでれば、代金の回収ができません。しかし、仕入先への支払いは発生します。

昭和39年に、その不渡りが大量に出てしまったのだそうです。

IMG_2992.jpgそのため、あわや倒産かという事態に陥ってしまいました。この危機を乗り切るため、会長は所有していた不動産を担保に銀行から借り入れをしたそうです。

さらに、それまでの事業の実績を信頼して、仕入先が支払いを待ってくれたことで倒産を回避することができたといいます。

 このことを機に、どうしても目が届きにくくなる東京・大阪の営業所を廃止して、再び名古屋から全国へ販売するようになりました。

 創立からわずか3年で訪れた危機でしたが、その間に築いていた仕入先との信頼関係があったからこそ乗り越えられたのではないのでしょうか。

 

 

【4】名古屋の会社が全国に販売網を広げた方法とは?
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IMG_2982.jpgさて、創成期の中京重機では、これまでにお伝えした通り、自走式生コンクリートホッパーを全国で販売してきました。

しかし、当時はまだ新幹線も開通していない時代です。もちろん、FAXもインターネットもありません。

どうやって全国に販売網を広げたのか、会長に尋ねました。

その答えが「全国を回って、機械を置いてくれる建材屋を探したんだよ」でした。

 各県に23店舗の取扱い代理店を作り、その店先に機械を置いてもらったそうです。

「ウチみたいな田舎の会社の機械はパンフレットだけじゃ売れないからね。実物を見てもらわなきゃ売れないし、建材屋も実物がなきゃ売ってくれないよ」と会長は話してくれました。

 まずは、建材屋を回って機械を店頭に置いてもらうよう交渉。

店頭に機械を置いてもらったら月に1回程度訪問し、売れていたら代金を回収して再び機械を置かせてもう、ということを繰り返しました。

昭和36年頃からこのような営業と代金回収を兼ねた行脚をはじめて、昭和47年頃まで続けていたそうです。

 会長は主に名古屋より西の地域を担当しており、中でも楽しかったのは九州地方だったそうです。

九州の人たちはオープンな人柄の方が多く、「こんな遠くまでよく来てくれた」と歓待してくれたといいます。

毎月のように訪問していたため、いつも泊まっていた小さな旅館の方たちとは、まるで家族のように仲良くなったそうです。土産を送ると、宿泊費を無料にしてくれたこともあったとか。

こうして各地で関係を深めて、店先に置く機械が1台置から3台に増えるなど、どんどん販売数を伸ばしていくことができたのだそうです。

 創成期に生まれた自走式生コンクリートホッパーが大ヒットしたのは、

 IMG_3009.jpg

・時代のニーズを掴んだ商品開発ができたこと、

・全国を回り、地道に現地の人たちとの信頼関係を結べたこと、そして、

・それを継続しつづけた情熱があったからなんですね。

 

 まさに、中京重機のロゴマークに込められている想いを実践してきた結果なのではないでしょうか。

さて、今回の歴史語りはここまでです。

次回は、昭和48年頃からのお話を書きたいと思います。お楽しみに!

 

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まとめ

ロゴマークには「客様や社会、時代と調和しながら、情熱と技術で人から信頼される会社として成長していく」という想いが込められている。

 

  • 中京重機創成期の沿革

昭和301956)年 一般建設機械の販売業務を開始。

昭和341959)年 中京重機株式会社を設立。

昭和401965)年 瑞穂区に新社屋完成、新社屋にて営業開始。

昭和44(1969)年 名古屋市名東区陸前町に新社屋完成、新社屋にて営業開始。

 

 

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